Killing Floor 2

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プレイスタイルの相違と対立に関する一考察
By あさぴっぴ 1020
プレイスタイルの異なるプレイヤー同士が、しばしばこれについて論争となり対立している様子を目にする。
KF2においてどのようなプレイスタイルが存在し、なぜ彼らは対立するのか、当ガイドではこれについて議論する。
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緒言
 異なるプレイスタイルを持ったプレイヤー同士の対立は、どのゲームにおいても見受けられる。KF2においても様々な場面でプレイヤーが対立してきた。
 プレイスタイルとは、各個人のゲームプレイにおける思想の現象である。何を優先すべきだと考えているか、どのような遊び方がより正当であると考えているか。このような思想の多様性がプレイスタイルの多様性を生んでいる。
 思想の多様性はおよそ、ゲームに対する熟知度や熟達度によらない。寧ろこれは、ゲーム体験に求めているものの相違、所属しているコミュニティといった環境の相違などに原因すると考えられる。
 異文化との対立は理解によって緩和される。本ガイドでは多様なプレイスタイルと、それに伴う対立構造について論じることでこれの理解を深めることを目的とする。
§1 パーク間の対立
 あらゆるプレイヤーが直面するであろう、古くから言及されてきたKF2最大の対立が、このパーク間の対立であろう。
特に顕著なのは、射撃パークと非射撃パークの対立である。
ここではコマンドー、サポート、ガンスリンガー、シャープシューター、スワットを射撃パークと定義し、バーサーカー、ファイバグ、デモリッショニストを非射撃パークと定義する。
フィールドメディックとサバイバリストについては議論しない。
 いずれのパークも、使用する武器やスキルによって必要となるプレイの様式に差はある。とはいえ、射撃パークはできるだけ弾丸を頭部に命中させる「精密射撃」が基本となるだろう。
弾丸を発砲している以上、1ヒットあたりのダメージ量が問題となる。各射撃が常に最大効率で運用されるためには、当然すべて頭部に命中することが理想であり、これは多くの場合、技術によりある程度実現可能である。
 一方、バーサーカーの基本は「近接戦闘」であり、ファイバグやデモリッショニストの基本は「範囲攻撃」である。
 これらパークの基本性質が、「立ち回り」の相違と対立を生んでしまうのである。
 立ち回りとは、プレイヤーが有利に戦闘を進められるように、可能な限り理想的な条件下で戦おうとして、ゲームをプレイすることである。
 射撃パークの基本が「精密射撃」である以上、彼らに求められる立ち回りとは、頭部に弾丸を当てやすくする工夫である。しかし、バーサーカーの近接戦闘はZEDのタゲを集めやすいし、ファイアバグは敵を炎上させ、デモリッショニストはノックダウンを誘発し、挙句の果てには視界を悪くする。これらの性質は彼ら射撃パークにとって残念ながら、邪魔なものなのである。だからといって、そのようなプレイをやめろと言われても非射撃パークは困るのだ。それは、彼らが「立ち回った」結果としての産物なのだから。

パークが持つ性質を最大限活かそうとすれば、立ち回りにおける衝突は不可避である。

 では、共存は不可能なのだろうか。そんなことはないだろう。ここで問題なのは、パークが持つ性質を最大限活かそうとしている点なのだ。これを諦め、共存のための武器選択、スキル選択、及びにプレイスタイルの選択を行えば可能となるだろう。だが、これは謂わばプレイスタイルの制限である。対立者たちは、この制限が受け入れがたいわけである。
 射撃パークと非射撃パークで混じってプレイしていても不満を抱かない層も、決して少なくない人数存在している。結局この違いは、求めているゲーム体験の違いに基づく。
パークが持つ性質を最大限活かして戦いたいのか、単純にワイワイしながらみんなで戦いたいのか。
 つまるところ多くの場合、パーク間の対立とは、どちらが正しいとか間違っているとかではなく、思想の対立の現象なのである。
§2 使用デバイスによる対立
 さて、本節ではFPS界隈で一般に見られる使用デバイスに基づく対立を見ていく。キーボード&マウス(以下キーマウと略称)とゲームパッド(以下パッドと略称)の対立である。
 ここにはゲームプレイにおける正当性の思想が深く関わっていると推定される。
 しばしばこの対立はまず初めに、キーマウ勢がパッド勢を批判するところから始まる。彼らの主張によればパッド使用時のエイムアシストが、正規のゲームプレイとは評しがたいそうだ。曰く、「自分で狙ってる感無くない?」と。
 これにパッド勢は当然の正当性をもって反論する。公式に実装されたエイムアシストシステムを利用することは何ら問題なく、これを批判することこそ寧ろ不当である、と。真っ当な意見である。確かに、公式に実装されたコンテンツは、Vanilla*の公開サーバーにおいて、一般に認められてしかるべきだ。
(* Vanillaとは、Modのような非公式コンテンツを導入していない状態を指す)
 一方、ここには前節で述べたような、求めるゲーム体験の相違に基づく対立も同時に見られる。エイムアシストの有無はいずれにしても、立ち回りの衝突を生まないが、マウスとパッドの操作特性の違いは、ややこれに原因する。キーマウ勢はパッドの操作性について、振り向き、視点操作が遅いと指摘する。そのため、横からZEDに殴られていても、即座に対応できない、と。実際、操作性にどれだけ差があるかは、私の現状の経験と知識からでは判断しかねるが、いずれにしてもパッド勢がこのような理由で批判される謂われは無いように思う。
 結局、正当性に照らし合わせて言えば、Vanillaの公開サーバーである以上、使用デバイスについてどうこう言われる筋合いはない。もしそれでもパッド勢との共闘に不満があるというのならば、そのようなプレイヤーは自らキーマウ勢専用のプライベートサーバーを立て、その限られたコミュニティの中でのみゲームをプレイすべきである。
 公共の場においては、多様性が尊重されるべきである。
§3 クライアントMODの使用と対立
 MODとは、Modification(修正・改変)を意味し、ゲームにおいては公式に実装されたものから逸脱したカスタム要素を指す。KF2ではMODの開発が推奨されており、数々の作品がWorkshopで共有されている。MODにはサーバー側に実装するものと、クライアント側に実装するものとがある。クライアント側に実装するMODは、個人の判断で使用できる上、この使用は公式に認められていると言えるだろう。
 クライアントMODの代表例はカスタム武器スキンである。公式には実装されていない武器スキンを楽しむことができるが、自分からしか見えず、他人からは別の武器スキンとして表示されるものだ。これはゲーム体験に影響しないからして対立の原因とはならないが、中にはゲーム体験に大きく影響するMODもある。

 例えば、カスタム照準器である。
https://steamproxy.net/sharedfiles/filedetails/?id=805449525 スコープの見た目を変えることでエイムを支援するMODである。

 次に、トミーガンのカスタムアイアンサイトがある。
https://steamproxy.net/sharedfiles/filedetails/?id=2561038258 視認性の悪さで有名なトミーガンのアイアンサイトを改善するMODである。

 他にも、シーズナルのZEDスキンを利用したクライアント側のカスタム方法がある。例えば、通常のZEDスキンをクリスマスのシーズナルスキンで上書きすると、常にクリスマスZEDで遊ぶことができる。ZEDの当たり判定はクライアント側のこのスキンで決まる為、特にフレッシュパウンドなどの当たり判定が大きいクリスマススキンを強制すれば、ゲームを有利にプレイすることができるのである。
 以上に上げた例はいずれも、公式に許可されたカスタム要素であり、そのような意味で使用は正当である。
 しかし一方で、これらを使用していないプレイヤーから反感をかいうることは想像に難くないだろう。例えば、遂にHell on EarthでPower Coreをクリアしたと、喜んでいるとしよう。しかしそのチーム内には、上述したようなプレイを簡単にするクライアントMODを導入した者がいた。この時、この勝利体験は正規のものと言えるだろうか。実際がどうであろうと、この感覚が彼らの反感の正体である。これもまた求めるゲーム体験の相違なのだ。

 ここで更に議論を呼ぶアイテムについて言及しよう。カスタムクロスヘアのことだ。
https://steamproxy.net/sharedfiles/filedetails/?id=1623217467 俗に鼻くそと称されているこれは、正確にはクライアントMODではなく外部ソフトウェアである。つまり、公式に推奨されている開発、コンテンツではない。しかし、多くのPVPのFPSではこのような外部ソフトの使用禁止が名言されている反面、KF2においては名言されていない。PVEであるこのKF2では、チートと判断されないのが一般的な認識である。とはいえ、公式の枠組みから外れている以上、これについての正当性に関する意見は割れるだろう。
§4 ゲーム設定に関する対立
 続いてゲーム設定の相違に関する対立についても軽く論じよう。結論から言えば、画質を下げた方がゲームが簡単になるという主張に基づく対立だ。例えば最高画質でOutpostを遊ぶと、外は酷く吹雪いていて視界が悪い。しかし少し画質設定を落とすだけで、吹雪が描画されなくなり圧倒的に視界が良くなるのだ。もちろん、このようなゲーム設定は個人のPCスペックと好みによって自由に選択されるべきだ。今回の場合においても他人にどうこう言われる筋合いはない。

 しかし、次の例を見たらどうだろうか。
https://youtu.be/U9Fy7-GuaAk?si=LbtJQSIFHInUwBav
これはConfigファイルを直接編集することでできる、純粋な画質設定によるものである。
一部のプレイヤーはこれを、正当なプレイではない、正規なプレイではないと批判する。射撃精度を高めるための設定の理想化が、過剰だと主張する。だが何度も繰り返すが、やはりこれもVanillaの公開サーバーにおいては一般に認められるべきである。一方で、これが感覚的に受け入れられない、すなわち邪道と判断されるか否かはコミュニティによる。
https://steamproxy.net/sharedfiles/filedetails/?id=2127961422

 結局のところ少数派のスタイルはコミュニティに認められないのが現実だ。認められないこと自体は何ら問題でないが、そのようなスタイルを動画にして共有すれば対立構造が成立するのは明らかだ。自身のプレイスタイルが、コミュニティ内においてどのような立ち位置にあるか理解することは、無用な対立を避けるうえでも非常に重要だ。
§5 地雷プレイについて
 さて、ここまででいくつかの対立構造を見て、度々、Vanilla公開サーバーにおいては公式に認められているプレイが認められるべきだと主張した。しかしこの主張にも限界はある。いわゆる地雷プレイと呼ばれる数々は、この観点からして見れば、公式に認められた行為であり正当なのだ。他人の武器を拾って勝手に売っても、ドアを溶接して故意にプレイヤーを死に至らしめても、これらを禁止する公式ルールはないのだから認められるべきだ。
 果たしてそんな言い分が通るだろうか。いや、断じてない。これは謂わば法律-ルールと倫理-マナーの関係である。明確なルールによって縛られていなくとも、受け入れられないことがある。
 ゲームにおける倫理から外れたプレイヤー、いわゆる地雷プレイヤーは3つに分類できる。
 一つは子供型だ。よく最高難度であるHell on Earthにレベル一桁台の初心者が迷い込んで来るだろう。プレイヤーは難易度に適した熟練度を持ってゲームに参加すべきだ、というマナーを掲げて批判されることがある。対してかかる初心者は、「ちょっと最高難度を覗いてみたかった」と言うのだ。これは丁度、電車で外の風景を見たがる子供が土足で座席に立つのと同じようなものである。未熟なる彼らはまだマナーを知らない。我々は彼らを教育してやるか、彼らが自ら学習するのを待つしか仕方ない。
 二つ目は異文化型だ。コミュニティによってマナーが異なる場合に生じ得る。私はVanillaにおいて異文化型マナー違反を見たことが無いので、具体例を挙げられず申し訳ないが、敢えて電車で例えるならば、日本に来たばかりで文化をよく知らない外国人が、電車内で大声で話したり電話をすることだろう。或いは欧米で鼻をすする日本人かもしれない。彼らの国では当然のことが、ここではマナー違反かもしれない、という可能性は無視できない。地雷プレイを見かけても、まずはプレイヤーのPINGを確認し、文化の違いに原因する可能性を考慮しよう。
 三つ目は悪意型だ。本節の序盤で述べた、故意にドアを溶接して仲間を殺すプレイなどが明らかにこれにあたる。このような邪悪なプレイは断じて認められるべきではない。速やかにブロックすることを推奨する。彼らは子供型ではないゆえ、学習の余地は少ないだろう。
 マナーとは不確かで曖昧なものだ。例えばここで私が思いつく限りの地雷プレイについて列挙すれば、そこにはまた新たな論争が起こることだろう。
§6 VanillaとCDの対立
 CDとは、Controlled Difficultyの略称であり、MODにおける代表的なカスタムゲームモードの一つである。
 求めるプレイスタイルの相違により、Vanillaからあぶれたプレイヤーたちはプライベートサーバー、あるいはカスタムサーバーに流れていくこととなる。大人数サーバーを好む者もいれば、Zedternal*と呼ばれるカスタムゲームモードが好きな者もいる。カスタム武器が多く実装されたサーバーもある。これらカスタムサーバーの一つがCDサーバーであり、度々議論の対象となるものである。

https://steamproxy.net/sharedfiles/filedetails/?id=2058869377
https://steamproxy.net/sharedfiles/filedetails/?id=2862691598

 CDなるゲームモードの持つ特徴は様々あるが、元来は名前の通り難易度の操作を自在にできることが最大の特徴だ。そのため、CDはHell on Earthの上位難易度だと、誤認されていることが多い。海外のCDサーバーでは実際にHarder than Hell on Earthなどと謳っているため、余計にそのような認識が広がっているのかもしれないが、これは全くの誤りである。この誤認が発端となって、CDをプレイしたことのないようなVanilla勢が、CDのプレイ動画を見てこれを批判するのである。「その実、簡単な設定でプレイしているじゃないか」と。
 CD文化の、特に日本における現状について解説しよう。長い年月を経て発展してきたCDという界隈は、もはや難易度の操作よりも、射撃厨の巣窟としての特性の方が重視すべきそれとなっている。CDは、射撃厨が射撃を楽しむための界隈なのである。これが第一の前提特性である。そのため、射撃しにくいマップは遊ばないし、EDARは湧かないし、QPすら湧かせないことが多いし、発狂湧きも無効化されている。これらがVanilla勢の言う「簡単な設定」である。CDの難易度操作の特性は、この前提のもとに、参加プレイヤーの熟練度に応じてZEDの密度を上げ下げしたり、大型の割合を変えたりする。
 VanillaとCDで純粋な難易度比較することは不可能である。これはVanillaとZedternalを比較できないのと同じだ。もちろんCD勢の中にも、CDがHell on Earthより難しいと勘違いしているプレイヤーはいる。これが対立の根本原因だ。CDはパーク間の対立に辟易した射撃厨が集い、同じプレイスタイルの者同士で集まり、そのコミュニティを楽しんでいるだけなのだ。

 だが、そもそもそれを気持ち悪いと評する者もいる。CDに限らず、身内だけでずっとプライベートサーバーで遊んでいる人たちのことを批判するのだ。当然そんなことで批判される謂われはないが、これは次のように理解できる。
 ホロライブが好きなオタクたちが集まって、過剰に性的に表現されたキャラクターを囲ってグフグフ笑っているとする。それを見た一般大衆、流行の服を着て流行の音楽を聴く彼らの一部は、このオタクたちを奇妙で気持ちの悪いものと認識するだろう。CD勢はちょうどこのオタクにあたる。過剰に射撃パークに最適化された条件で、ZEDの頭を撃ちぬいてグフグフしている。一部のVanilla民からすれば、これがただ純粋に気持ち悪いのだ。仕方ない。
§7 CD内に見られる限界対立について
 この節では、CDという射撃厨のための限界界隈の中ですら見られる対立について見ていく。

§7.1 ボス戦やりたい派 vs やりたくない派
 射撃厨であるCD勢は頭を撃ちぬくのが好きなのであって、ボス戦のような通常ウェーブと大きくゲーム性の異なるプレイに関心が無い場合が多い。不思議なことにこれには地域差が大きく、ボス戦を避ける傾向は特に東アジアで強く見られる。CDには現在主に5つのエディションがあるが、日本コミュニティ用に開発されたCombined Editionでは、ボス戦を迎えず、ウェーブ10をクリアすれば勝利となるような設定ができる。一方で欧米では時々、むしろボスの数を増やす設定も見られる。

§7.2 武器強化あり派 vs なし派
 KF2には武器のアップグレード機能があるが、これの是非についても意見が分かれる。1段階までの強化は許可しているサーバーが多いが、デザートイーグルのような強化の影響の大きい武器だけ、完全に強化を禁止されているところもある。
 強化機能は、元々KF2になかったものであるため、これを嫌う者も多いが、必ずしも無強化が実装当初の性能を表すわけではない。例えばM14の実装当初の性能は、今のM14の1段階強化と同等程度だったという。
 CDにおいて大型処理はVanillaと比しても非常に重要な要素である。武器強化は武器によっては、大型処理の必要弾数を減らすことになる。これはCDにおける正当性の思想に関わっている。CDにはCD独自の難易度指標があるため、仲間内でどの難度をクリアしたかよく比較する。この時、武器強化があっては単純比較が難しいので、一部のCD勢は無強化をこそ正当と考えるのである。

§7.3 超過容量あり派 vs なし派
 マガジン容量を超えて弾薬を持つTipsはご存知だろうか。例えばコマンドーでスキル「鉛を食らえ」を選択してリロードし、武器を落としてからスキルを「ホローポイント弾」に戻し、その後で武器を拾い直すと、一つ目の弾倉に限って鉛を食らえを選択していないにも関わらず、選択時のマガジン容量を保つことができる。これが超過容量の状態である。
 CDではトレーダータイムが無制限でもあり、コマンドーがシャープシューターのFALを拾ってリロードすることで、一つ目の弾倉は50発の弾が入っているようにする文化がある。しかし50発FALは一つの弾倉で何体もの大型を倒せてしまうため、強すぎると批判する者も多い。
 そのため、AntiOvercapという設定で制限されている場合もある。

§7.4 ランあり派 vs なし派
 これは日本の中でも特に一部でしかみられない対立である。普通、ZEDに押し込まれキャンプが崩壊すれば、ランへと移行し戦闘を継続するだろう。だが一部のCD勢はランを嫌う。走りながら戦うのが嫌いで、走ってまで戦うくらいなら死んだ方がマシだと考えるのだ。このようなプレイヤーはキャンプが崩壊しても一向に逃げようとしない。
 ランなし派とランあり派が混じっているパーティでは、その比率によって、ランなし派が全滅してからランを始めたり、ランなし派を置いて行ってランを始めるパターンがある。
 ランなし派はしばしば次のように言う。「ランは負け」と。

§7.5 勝ちたい派 vs もうどうでもいい派
 限界を極めたCD民の一部はやがて勝利への意慾を失う。長いプレイ時間と、そのプレイヤーの求めている体験とが、勝つかどうかより、気持ちよく射撃できるかどうかに重きを置くようになるのである。そのようなプレイヤーはしばしば無謀な難易度設定で遊ぶようになり、これは勝ちたい派との対立を生む。
結言
 プレイスタイルの相違は数々の対立構造を生み出してきた。この対立のために不快な思いをしてきた人もいることだろう。我々は多様なプレイスタイルを、その本質から理解を深め、よく知る必要がある。相互理解は、ある時は対立を避け、ある時は対立を緩和し、諸君らに良い影響を与えることだろう。
 自身のプレイスタイルの立ち位置についても、十分に考察しておく必要がある。私は限界CD民であるため、野良のVanillaにはもう何年も参加していない。これは必要なことだ。自分が満足できるコミュニティに所属することだ。間違っても、自分の勝手な思想によって他人のプレイスタイルを批判することはあっても、否定してはいけない。
 最後に、ボス戦なし・武器強化なし・超過容量なし・ランなし・勝利へのこだわりなしとなった、限界CD民の満足するゲームプレイの様子を共有して、以上を一考察とさせていただく。

🔗 CD: asp_v3 - Gunslinger - Ashwood Asylum - wave 1, 8, 9 (defeat)[www.twitch.tv]